

さて!そろそろドロン。(大笑)
本日は、3月11日、最初の話題は東日本大震災の話題をちょっとだけ。
皆さんご存知のように、私の田舎は、福島県南相馬市です。
親戚2名、義理の兄の弟の奥様とお母様の身内4人が津波で帰らぬ人となりました。
まだ癒えぬ現実に追い討ちを掛けたのが原発の放射能漏れ、予備電源さえ装備していれば、もっと違った結果に成っていたと思います。
まったくの人災でありながらいっこうに進まない放射能問題、未だに南相馬市の南側の皆さん、浪江、双葉、富岡、大熊、楢葉と点在する町でも、未だに自分の家でありながら帰ることを許されない皆さん。
若者、特に女性の皆さんにとって、邪魔なのが福島県出身者であること。
子孫繁栄は無理だと、意味無く嫌われる福島県の皆さん。
住人に罪はありますか?
住民は放射能を体から発していますか?
放射能の匂いがしますか?
どうか、福島県人の苦悩をご理解ください。
今でも福島県人だと堂々と言える皆さんは、福島県を愛しています。
福島県が大好きです。
差別を受けても大人なら我慢をしなければならないのでしょうか?
1日も速く、東日本大震災の被害を受ける前の状態に戻りたいと願う皆さんです。
決して大津波と原発人災を忘れてはいけません。
そして、福島県人である事を忘れたくありません。
まだまだ、福島県、そして東日本大震災の被災者の皆さんは、皆様からの暖かい声援を頂ける事だけが救いです。
今後とも、復興が一日でも速く完了出来ますようにご支援のほどよろしくお願い致します。
南相馬市の現在 自宅にイノブタ、泥棒の形跡もあり嘆く人も
東京電力福島第一原発事故によって、今なお故郷を追われている人の数は8万900人あまり。
原発20km圏にある9市町村と、原発から北西にかけての放射線量が高い地域に住んでいた人たちがそれにあたる。
東京・東雲住宅には現在、そうした福島県から避難している人を中心に、1100人ほどの避難者が暮らしている。佐藤芳子さん(69才)は、諦めたように小さくため息をつく。
「私ら、すぐに家に帰れると思っていましたから…。津波が来たから逃げなさいと言われて高台に逃げて、本当は次の日には自宅に帰って後片付けをしようと思っていたら、原発が爆発して、そのまま家に帰れなくなってしまった。だから、ほとんどの人が身ひとつで出てきてしまっているんですよ」
佐藤さんの自宅は、南相馬市小高区にある。避難指示解除準備区域に指定されている地域だ。国は避難指示を出している区域を放射線量に応じて、年間積算線量20ミリシーベルト以下となることが確実だと確認され、解除準備を進めている「避難指示解除準備区域」、宿泊ができない「居住制限区域」、立ち入ることすらできない「帰還困難区域」の3つに分け、帰還作業を順次進めている。
「町の方針で、再来年の3月に帰還する予定になっているんですが、家はずっと閉めっぱなしだから湿気がひどい。この間、娘が戻ったら、家中のあちこちにカビが生えていたと聞きました。やっぱり家というのは、人間が住んで、風を入れて生活しないとダメになっちゃうのね…」
それは、2011年3月11日午後2時46分に襲った東日本大震災以前は、新しい築5年の家だった。終の住み処と考えていた家はしかし、それから3年を迎えようとする今、まだ築10年に満たない家には見えない。
やはり南相馬市小高区から家族4人で避難している、三澤宏造さん(71才)も嘆く。
「この間、家を見に行ったら、もうねずみがあちこちで糞尿をしているし、猪と豚が交配したイノブタだと思うんですが、ガラスを割って踏み荒らしているし…。あと、泥棒が入った形跡もありました。もうグチャグチャ。もうあんな家には住めません」
かといって、今住んでいる東雲住宅にずっと住めるかといえば、それもわからない。
東雲住宅は、避難生活を続ける人のために東京都が借り上げたもので、避難者は無料で住むことができる。しかし、いつまでも約束されたものではない。この避難所は仮設住宅と同じ扱いになっているからだ。
住めるのは、最初の2年間。その後は特別措置として、1年ずつ入居期間を延長していく。今決まっているのは、ここには来年の3月まで暮らせるということだけ。逆に言えば、来年3月にここを出て行ってくださいと通達される可能性もあるということだ。
「若い人たちはいいかもしれませんが、私らは…」(佐藤さん)
将来への不安は尽きない。
NEWSポストセブンからの転載です。
被災地のこと忘れないで…羽生選手、震災を語る
ソチ五輪のフィギュアスケート男子で日本初の金メダルを獲得した羽生結弦(はにゅうゆづる)選手(19)(ANA)が、読売新聞の単独インタビューに応じ、被災地への思いを語った。
◇
メダルを取って、震災で傷ついた日本にプレゼントしたい。そんな思いで臨んだソチ五輪でした。でも、実際に優勝したら、無力感に襲われました。金メダルも、復興の直接の手助けにならないって感じたからです。練習拠点を、生まれ育った仙台からカナダに移してまで目指した金メダルですが、「被災した故郷を離れて本当に良かったのか」との思いも起きました。
3年前のあの時、ぼくは仙台のリンクで練習中でした。氷が波打ち、立っていられないほどの揺れ。「このまま死んでしまうのか」と恐ろしく、泣きながら逃げ出しました。あの時の光景は今でも頭の中でフラッシュバックします。涙が止まらなくなって、夜もうなされます。
競技をやめようと思ったこともありましたが、翌12年の世界選手権で、たくさんの応援をもらって銅メダルを獲得して気付きました。被災した人たちを勇気づけたいと思って滑っていたけど、実は自分のほうが支えられていたということに。五輪も同じです。応援に背中を押してもらいました。金メダルは自分だけではなく、応援してくれたみんなで取ったと思っています。
金メダリストとして、すべきことも見えてきました。「被災地のことを忘れないでほしい」という思いを伝えるために、これからも滑り続けるつもりです。
2014年3月10日10時09分 読売新聞より転載です。
もう、東京電力の皆さん、罰ゲームは終了に致しましょう。皆さんが平常に戻っているのと同じで、福島県の皆さんをも、平常な生活に戻してください。お願いします。
作詞家の阿木燿子さんをご存知ですか?
ダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童さんの奥様と言った方がお分かりでしょうか?(微笑)
阿木燿子さんが3月1日の日経夕刊に真央ちゃんへの想いを寄稿して下さいましたのでこちらに書き留めます。
I‘m proud of you. 作詞家 阿木 燿子
“あすへの話題”
その瞬間、テレビを観ていた日本人の多くが悲鳴を上げただろう。
ソチオリンピック、フィギュアスケート女子ショートプログラムで浅田真央選手の結果が告げられた瞬間だ。
まさかの16位。
メダル獲得は絶望的な順位だ。私はテレビの前で絶句し、神様は何て意地悪なのだろうかと嘆いた。
幼い頃から、天才少女と謡(うた)われた浅田真央さん。長く映像を通じて知っているせいか、私たち日本人は彼女に対して、家族のような親近感を抱いている。ある人にとっては娘、ある人にとっては姉や妹。私にとっては、明るく頑張り屋さんの末娘といった感じだろうか。
4年前バンクーバーで銀メダル。金の期待を一身に背負っていたので、本人は悔しそうだった。もちろん日本中が、そして私も。何が何でも金メダルを、と願っていたから。でも今回は違っていた。もう十分、“親孝行”をしてもらった。だから真央さんには金メダルを、“取って欲しい”ではなく“取らせて上げたい”と願っていた。そして翌日のフリー。
真央さんは最高の演技で、観客を、いや、世界を魅了した。滑り終わった直後、万感の想いが込み上げてきたのだろう。天を仰ぎ涙を流し、その後笑顔になった。その笑顔の何と美しいことか。
最悪のショートから、最高のフリーまでの一晩。真央さんはどうやって心を立て直したのだろうか。記者会見で、感想を聞かれて「自分の望んでいたフリーの演技ができた。支えてくれた人に恩返しも」と語っていた。金メダル以上の感動をありがとう。いや、それじゃ足りない。こうも付け加えたい。I‘m proud of you.日本人として、私はあなたを誇りに思います。
阿木さん、ありがとう御座います。(微笑)
3月26日から開催される世界選手権での日本人スケーター
伊藤、佐藤、荒川、安藤、そして浅田。世界選手権を彩った女王たちの系譜。
フィギュアスケートの世界選手権は長い間、シーズンを締めくくる大会として選手たちの目標となってきた舞台である。
女子は1906年に第1回大会が行なわれ、戦争などでの中断を挟み、これまでに93回を数える。そのときどきに時代を彩るチャンピオンが現れ、数々の名場面が生まれた。
その歴史の中に、5名の日本の選手の名前も刻まれている。
日本初のチャンピオンが誕生したのは'89年、パリ大会のことだった。
伊藤みどりは傑出したジャンプ力を武器に、小学5年生で出場した'80年の全日本選手権で3位になるなど「天才少女」と呼ばれた。その後、ときに故障に苦しみながらも階段をのぼっていった伊藤は'88年11月、愛知県での大会で競技会では女子世界初のトリプルアクセルに成功。そのシーズンの締めくくりとして5度目の世界選手権に挑んだ。
圧巻はフリーの演技だった。着氷で乱れたもののトリプルアクセルを決めたほか、6種類の3回転ジャンプに成功。さらにスピンなどでも切れを見せつけ、優勝を果たした。9名のジャッジのうち5名が技術点で6.0の満点を出したことも特筆される。
小塚崇彦をフィギュアへ駆り立てた、佐藤有香の演技。
'94年、千葉で行なわれた大会で優勝したのが佐藤有香である。佐藤信夫、久美子夫妻の娘であり、現在は振付け師、コーチとして活躍している。
予選、ショートプログラムで1位の佐藤は、フリーでもジャンプで一つミスはあったものの、他のジャンプは成功。何よりも終盤のストレートラインステップにも表れていた、滑らかなスケーティングと溌剌とした演技に、場内が沸いた。
佐藤の演技を観戦していた小塚崇彦が、その様子を見てフィギュアスケートに本格的に取り組む決意をしたのも有名な話だ。そして佐藤は、世界選手権優勝という肩書きとともにプロに転向。数々のアイスショーで活動するきっかけとなった。
その10年後の'04年、ドルトムントで行なわれた大会で、3人目のチャンピオンが生まれた。それが荒川静香だった。
ショートプログラム2位で迎えたフリーの「トゥーランドット」は、まさに圧巻としか言いようがない滑りであった。技術点で満点をつけるジャッジもいるほどだったが、大会の3週間前にコーチとなったタチアナ・タラソワの効果もあったのだろう。スパイラル、イナバウアー、全身で示す表現と、まさに優勝にふさわしい演技で喝采を浴びた。荒川が見せた涙は、自身、心から満足していることを表しているようだった。
震災で延期された2011年、安藤美姫の言葉。
3人のチャンピオンのあとに続いたのが、安藤美姫と浅田真央である。
15位に終わったトリノ五輪の翌シーズンとなる'06-'07年、ニコライ・モロゾフをコーチに迎えた安藤は見違えるような姿を見せた。絞り込まれた体型、磨かれたスピンとステップ、そしてジャンプ。観る者を惹きつける表現とともに好成績をあげたシーズンの締めくくりとなったのが、世界選手権優勝であった。
東日本大震災により時期を延期し、東京から場所を移して行なわれた'11年のモスクワでは2度目の優勝。ショート、フリーのすべてのスピンでレベル4を獲得したのはむろんのこと、フリーで見せた、落ち着きの中にもどこか強い気持ちを感じさせる演技が強い印象を残した。
「自分の演技を見て、一人でも多くの人が笑顔を取り戻せたら」
そんな願いを込めて滑っていたという。
浅田真央、2度の劇的な世界一。
そして浅田の2度の優勝もまた、見たものの心に強く刻まれている。
'08年のイエテボリのフリーは劇的な滑りとなった。冒頭のトリプルアクセルは踏み切りに失敗し、リンクの壁にぶつかるほどの激しい転倒。精神的にも肉体的にも衝撃は大きかったはずだ。だがそこからが真骨頂だった。素早く立ち上がると、その後はシーズンで最高ではないかと思える演技を見せて優勝を果たしたのだ。
'10年の世界選手権は、バンクーバー五輪の翌月だった。バンクーバーではショートで会心の演技を見せ、フリーでも2度トリプルアクセルに成功した浅田だったが、それ以外の部分でミスが相次いだ。銀メダルだったという結果以上に、ミスをしたことが許せず、涙を流した。だが世界選手権では、オリンピックから1カ月しか経っていないにもかかわらず、見事に立て直した姿を見せた。
「オリンピックでミスしたジャンプも跳べましたし、悔しさや力強さを最後のステップに込めました。自分の中ではほぼパーフェクトです。それが本当にうれしいです」
試合のあと、浅田は笑顔で口にした。
優勝だけが選手を輝かせるわけではない。
彼女たち5人はそれぞれに持ち味を発揮し、栄冠を手にした。
いや、優勝した選手ばかりではない。近年で言えば、'08年の世界選手権で4位ながら、フリーでの情感豊かな演技をスタンディングオベーションで称えられた中野友加里は間違いなく大会の華であった。
代表を逃した前年の悔しさをバネに、'12年の世界選手権で3位と初めて表彰台に上った鈴木明子の場内を引き込む明るさも、「どこからでも人間は成長できると信じてきました」という言葉とともに印象的だ。世界選手権という舞台だからこそ見られる演技が、今まで重ねられて、歴史は築かれてきた。
ソチ五輪が終わってからひと月が経ち、3月26日にはさいたまスーパーアリーナで世界選手権が開幕する。
日本女子は浅田、鈴木、村上佳菜子の3人が出場する。
彼女たちをはじめとするスケーターたちが大会をどのように彩っていくのか、そしてオリンピックを経て、日本のファンの前でどんな姿を見せるのか。
それがまた、世界選手権の新たな歴史を刻むことになる。
(「フィギュアスケート特報」松原孝臣 = 文)
まさに、松原さんのおっしゃるとおり、“優勝だけが選手を輝かせるわけではない。”真央さんがソチ五輪で立証して下さいました。
バンクーバーでの感動とは、まったく別物でしたね。
教えられる事が多い真央さんのスケーターとしての生き様、年齢を超越して感動が怒涛のように押し寄せる気持ち良さ。
大好きです。(微笑)
3月10日 Number Webからの転載です。
中国は、韓国との共倒れは嫌なんですね?
韓国も味方だ思っていたでしょう、しかし、韓国人の余りにも世間知らずな目に余るモラルの無さにお手上げでしょう。
分かりますよ。中国人民のみなさま。
韓国のテコンドー、歴史捏造に消えたスポーツもありましたね。
野球、ソフトボールは、テコンドーの犠牲です。
韓国テコンドー協会会長が八百長を指示!その他のスポーツでも規律違反、続々―中国メディア
2014年3月9日、騰訊体育によると、韓国メディアは、韓国ソウル市テコンドー協会会長らが、特定の選手に有利になるよう審判に圧力をかけていたことがわかったと報じた。
警察は7日、テコンドー協会の事務所とイム会長の自宅などを家宅捜索した。警察によると、会長らは2013年5月に行われた試合で、審判に対して特定の選手に有利な判定を下すよう要求し、勝敗に影響を与えた疑いが持たれている。
韓国では2010年にサッカーのKリーグで賭博による八百長が発覚した後、バレーボールや韓国相撲「シルム」でも相次いで八百長が発覚している。これを受け、韓国文化体育観光省はスポーツ界の健全化のため、2013年8〜12月に2099のスポーツ団体を対象に特別監査を実施した。
監査では337件の違反が判明。情報によると、野球協会、バドミントン協会、バレーボール協会、ボクシング協会など10の団体に対する捜査で19人を告発し、15人を問責とした。また、違反金は15億5100万ウォン(約1億5000万円)に上った。
ソウル市テコンドー協会に対する捜査の結果、協会職員らによる運営費の流用の疑いがあることや、会長が前会長など27人を常任顧問や名誉会長に就かせ、毎月30〜400万ウォン(約3万円〜39万円)を支給していたとの疑惑も表面化している。(翻訳・編集/北田)
あの〜韓国とISUによるフィギュアスケートの八百長、日本スケート連盟による不正経理、やってますよ〜!
RecordChinaからの転載です。
動画のご紹介です。
動画主様、無断借用ご勘弁ください。
何度もご紹介する事になりますのでご了承ください。
動画主様に感謝!(微笑)
村上佳菜子さんじゃないですよ!柳原可奈子さんがラジオで真央さんを熱く語ってくださいました。
柳原可奈子が涙する フィギュアスケート 「(浅田)真央ちゃん続けて下さい」
「裸のアスリート」ちょこっと真央ちゃん(+ 再生リスト)
浅田真央(mao asada) ソチ伝説のフリー 〜 アングルの違う映像を同時再生
20140307 大庭雅選手が7種類の3回転を駆使して愛知フィギュア大会で優勝です。現在3Aに取り組んでいますから非常に楽しみですね。
羽生結弦・浅田真央【GPF フィナーレ】超豪華メンバー
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