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浅田真央ちゃんとまだまだ呼ぶぞ~!真央ちゃんの「ありがとうございました」?過去形にはしません、進行形です。(微笑)
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無事に引退記者会見も済みましたね。
真央ちゃん、お疲れさまでした。
今後は、より一層の親しみを込めて“真央ちゃん”と呼ばせて頂きます。(笑)
【全編動画】女子フィギュア浅田真央選手が引退会見(2017年4月12日)
普通に引退を迎えたかっただけに悔しい思いも有りつつの引退会見となりましたが、誠意のこもった実直な会見に終始致しましたね。
まぁ~トンチンカンナ質問をする記者も見受けられましたが悪意があるのやら無いのやら、真央ちゃんの気持ちを逆なでするものではなかったので良しと言う事に致しましょう。
とても清々しく、美しい真央ちゃんが現役にお別れの時を“世界中”が見守ったそうですね。
海外でもLIVE中継がされた程だったと言います。
流石に日本より海外のファンの方の多い真央ちゃんです。
まぁ~日本が諸外国から見て小さな国ですし、国民が多くも無い事から当然ですが、世界から愛される日本人アスリート、流石にまだまだ数の少ない人気日本人アスリートの皆さんのお一人ですね。
ロシアの選手に至っては、真っ先に真央さんへの引退を惜しむ記事が成されました。
ロシアもフィギュアスケート大国です。
そんなロシアの皆さんでさえ、真央ちゃんは別格。
私たち真央ちゃんファンと同じように涙も流しました。(微笑)
◆動画をご覧になった後は、目で見る記者会見は如何ですか?
下記にご紹介させて頂きます。
浅田真央 スケートは「一言でいうと人生」「笑顔で前に」も最後は感極まり・・・
爽やかな表情も最後は涙 「フィギュアは本当に私の人生」 「2月に決断した」 「恩返しできる活動をしたい」 結婚の予定は「ないです」
フィギュアスケート女子の2010年バンクーバー冬季五輪銀メダリスト、浅田真央(26)=中京大=が12日午前、東京都内のホテルで引退会見に臨んだ。引退に至った経緯、今後のフィギュア界、自分自身の将来について約1時間にわたって語った。会見の詳報は以下の通り。
《記者会見が行われたホテルには、朝早くから報道陣が詰めかけ、予定されていた受付時間よりも約40分早く開場した》
《髪を一本に束ね、白のジャケットに黒のスカートという服装で会見場に姿を見せた浅田。テレビカメラ約50台、430人に達する報道陣を前に、吹っ切れたような“真央スマイル”で語り始めた》
「みなさん、こんにちは、浅田真央です。本日はお忙しい中、このような場にお集まり頂き、本当にありがとうございます。2日前にホームページに発表しましたが、また改めてご報告いたします。私、浅田真央は、選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活だったんですけど、たくさん山がありました。でも、そのたくさんの山を乗り越えられたのも支えてくださった方々や沢山のファンの方々の応援があったからだと思っています。きょうは感謝の気持ちをお伝えできればと思い。このような場を設けさせていただきました」
★浅田真央さん引退会見 「笑顔で前に進んでいきたい」
《会見は代表質問による質疑応答に移った》
--まずはお疲れ様でした。いまの心境は
「ありがとうございます。きょうこの場に入ったときにこんなにたくさんの方がいらっしゃってびっくりしました。今は少し落ち着いています」
--かけてもらって印象に残った言葉は
「たくさんの方が連絡をくださった。みなさん本当にお疲れ様と声をかけてくださった。選手生活が終わるんだなという気持ちになりました」
--近しい人へは
「少し前に家族や友達に報告しました」
--印象に残る言葉はあったか
「みんな『お疲れ様、よく頑張ったね』と言ってくれました」
《終始笑顔を振りまき、晴れやかな表情で質疑応答が続く》
--どのくらいの時期からから引退を考えたか
「復帰してからいい形でスタートできたが、練習して試合に出るうちにいまのスケート界はすごい、私自身もついていけるか不安になりました。復帰前より辛いことが多かった。何とか1シーズン乗り切れましたが、2シーズン目からは何とか頑張ろうと思ってやってきました。最後の全日本選手権でいいんじゃないかと」
--迷いはなかったか
「やはり自分が復帰してから掲げてきた平昌に出る目標がありました。自分が言ってしまった。目標をやり遂げなければならない。葛藤はずっとありました」
--具体的にいつごろ決心したか
「全日本が終わって全て結果が出たときにもう終わったんだなと思いました。日がたつにつれて、自分が言ってしまったことは、いままで最後までやり通してきた。やらなきゃいけない気持ちが強くてここまで伸びました」
--達成感は
「私はソチ五輪を最高の形で終えられました。体も気持ちもまだまだやれるという思いがあって、復帰しました。自分が挑戦してみて、気持ちも体も自分の気力も全部出し切ったのでいまは挑戦して何も悔いがありません」
--全日本選手権を振り返って
「最後になるのかなという気持ちはソチの世界選手権ほどではなかった。トリプルアクセルに挑戦して終えられたのは自分らしかったかな」
--初めてスケート靴を履いた日を覚えているか
「私は覚えていないのです。5歳だったので。ヘルメット、スキーウエア、肘当てをしていたのは覚えています。小さい頃、フィギュアスケートはいくつも技がある。その技ができるようになったのは楽しかった。次は2回転。次は3回転と」
--辛かったことは
「辛かったことはそんなになくて、やはりこの道を選んできたのも自分。自分がやりたいと望んでやってきた道なので」
--バンクーバー五輪で銀メダル
「バンクーバーは19歳だったが、すごく10代で若くて、本当に気が強くて、強い気持ちだけで乗り越えてきた」
--4年後のソチは
「ソチ五輪はやはりショートが残念な結果だったので、本当に気持ち的には辛い試合だったが、フリーでああいう形で最高の形で終えられて、バンクーバーからソチの思いを全て4分間に注ぎ込めました」
--2度の五輪
「今後の人生においていい経験、いい思い出だったのかな」
--3回の世界選手権優勝
「はい、そうですね。2回世界選手権で金メダル取ったときは全て五輪の後。五輪の悔しさを世界選手権で晴らせた。最後の世界選手権は自分の気持ちの中では最後と思って臨んだ。スケート人生の全てをプログラムにぶつけた。最後が一番思い出深い試合」
《水を飲むだけで無数のフラッシュが光った》
--最も印象に残っている演技は
「うーん、難しいですね、やっぱり一つというのは難しくて、でもやっぱりソチのフリーかなと思います。気持ちが今までの試合以上に落ち込んで辛い部分があったが、あれだけ挽回の演技ができたことで、そしてそれが五輪だったことが一番よかったと思います」
--2人のコーチについて
「(山田)満知子先生は小さい頃に指導を受けていました。スケートの楽しさ、挑戦する楽しさを教えてくれました。スケートだけじゃなくいろんなことを教えてくれました。佐藤(信夫)コーチには大人になってから指導を受けました。やはり自分の意志もすごく強いので先生といろいろ話し合いをする機会も多かった。自分の意見もしっかり聞いてくださって、それを静かに見守ってくれていた先生でした」
--復帰からの2年間について
「ソチ五輪のシーズンで世界選手権を終えて自分が選手を終えていたら、いまもまだできたんじゃないかなと思っていました。自分が望んでチャレンジして出した結果。今は本当にやり残したことがない。チャレンジできてよかったと思っています」
--今後のプランは
「まず本当にすぐ夏にあるのがザ・アイス。そこで選手生活を終えて、最初にみなさんの前で滑る。良い演技を目指して頑張りたいと思います。やはり私は5歳からスケートを始めて今までスケートにお世話になりました。これからどんな形でもスケートに恩返したいと考えています」
--日本フィギュア界は浅田に憧れた選手がトップスケーターに育っている
「引退された大先輩の方をはじめ、私も引退することになりました。今までスケート界を引っ張ってこれたかなと思っています。若い選手がどんどん出てきています。若い選手が若いパワーでフィギュア界を引っ張っていってほしい」
--フィギュアとは
「どんな存在ですかね。難しいですけど、一言でいうと人生かな、と思います」
--自分をほめたい部分は
「私は結構飽きてしまうことが多いのですが、何でもすごくはまってしまうけど、それにすぐに飽きちゃう性格。でもこのスケートは5歳から26歳まで続けて来られました。すごいね、続けて来られたね、とほめてあげたい。私の全てがスケート中心の生活だった。本当に私の人生です」
--ファンへ
「本当にたくさんのファンの方が私のことを応援してくださった。良いときも悪いときも応援してくれました。私もすごく励みになったし、パワーになりました」
《会見開始から約20分、代表質問が終わり、浅田は用意されたグラスの水をひと口含んだ》
「(会見に)たくさんの方が来てくださって、ここもすごい熱気、すごく話すのでのどが渇いちゃいました」
《少し恥ずかしそうに笑う浅田に、記者たちも自然と笑顔になり、会場の雰囲気が和む》
--この日を迎えて
「発表するまで実感がなかっんですけど、ここで演技を振り返りながら話していると、引退する気持ちがわいてきます」
--今はどういう気持ち
「晴れやかな気持ちです」
--これからはリンクから離れた生活が待っている
「1月から4月まではスケート靴を持たず、滑らず過ごしてきました。でもアイスショーがあるので、また滑り始めます」
--悔やむことは
「決断するにあたって、すごく悩みました。でも後悔がなかったので、それだけやり尽くしたんだと思います」
《白のジャケットに白いブラウス、黒いスカート姿で会見に臨んだ浅田。幼いころから試合などで注目され、多くの人たちから親しみを込めて「真央ちゃん」と呼ばれてきたが、今日のいで立ちは落ち着いた大人の女性らしさにあふれている》
--真っ白な洋服に込めた思いは何かあるか
「黒のスーツか白にするか悩んだんですけど、本当に晴れやかな思いなので、この服を着ています」
--これまで「ノーミス」と繰り返してきたが、そこにこだわった理由は
「失敗はしたくないですし、練習をしてきているからこそやっぱり失敗したくないですし、私は試合に強いわけではないので、あえて『ノーミス』と言ってきました」
--代名詞であるトリプルアクセルへの思い
「私は、伊藤みどりさんのような選手にあこがれてきました。トリプルアクセルは自分の強さでもあったけれど、悩まされることも多かったです」
--5歳の自分に会うことができたら何と声をかけるか
「うーん、難しいな…。『頑張って』って。たくさんの人に応援してもらえて、幸せだなと思いました。大変なこともあったけれど、自分にエールを送ると思います」
--子供たちと接する様子が印象に残っている。日本や世界の子供たちにかける言葉は
「私は小さい頃から本当にスケートが大好きで、その気持ちでスケートを続けてきました。なので、大好きな気持ちを忘れないでねって。以前にもスケート教室やったことがあるんですが、また機会があったらやってみたいなと思います」
《浅田にあこがれてスケートを始めたという子供たちは多くいる。名古屋のリンクで直接勧誘された宇野昌磨選手(中京大)は男子のトップ選手に成長した。東日本大震災の被災地にもたびたび足を運び、子供たちを勇気づけてきた》
--トリプルアクセルに声をかけられるとしたら
「難しい。トリプルアクセルに声をかけるんですか。そういう存在だったら…うーん、なんでもっと簡単に飛ばせてくれないのって感じです」
--続けてこられた支えは
「ひとつは自分の目標です。たくさんの方に支えられて、たくさんの方に応援していただいたからだと思います」
--今年の世界選手権の結果、五輪の枠が3から2になったことへの思いと、引退を決意したこととの関係あるか
「五輪に出る目標をやめてしまう自分を許せるのかなと思いながら生活してきて、2月に決断したので、世界選手権が影響したというより、最後は自分で決めることなので。2枠になったことは残念ですけど、そこを目指してたくさんの選手が競うので、ハイレベルな戦いになると思います」
--引退の決意まで、だれが後押ししてくれた
「家族だったり、お友達だったり、知っている人に相談もしました。でも最後決めるのは自分なので、旅行に行ったり、日々を過ごしながら決断しました」
--21年間の競技人生、だれかにかけられた言葉で印象的なものはあるのか
「この決断をしてからは、たくさんの方に温かいメッセージをいただいて、晴れやかな気持ちでいまここにいます。やっぱり感謝という言葉だと思います」
--日本が世界でもフィギュアが強い国になったことへの思い。今後のスケート界のために
「小さいころは伊藤みどりさんをはじめ、素晴らしいトップスケーターの方がいました。そうなりたいと思って試合を続けてきました。シニアになってからもたくさんの素晴らしいスケーターの方々といっしょに滑りました」
「たくさん応援してくださった方、メディアの方も取り上げてくださるようになったおかげで、いまがあると思います。これからの選手の皆さんには、刺激をし合いながら、高め合いながら過ごしてほしいなと思います」
--ソチ五輪について、ショートからどのように立ち直ったのか
「ショートが終わったときは、日本に帰れないと辛い思いをしたんですけど、フリーの朝も気持ちが切り替わってなくて、その気持ちのまま練習をして、アップをしていきました。でもリンクのドアを出た瞬間、すごい会場で、やるしかないって思いました」
--フリーが終わった瞬間笑顔だった。どういう心境だった
「上を向いていたんですけど、ああ終わったって。ちょっと泣いてしまったんですけど、バンクーバーの時も泣いてしまって、泣いてちゃだめだと思って笑顔にしました」
--新生活を始める一人として、今後について考えていることはあるか
「新たな一歩だと思っています。不安とかはなくて、ただただ、前を向いて進んでいこうって。元気に進んでいきたいなと思います」
--プルシェンコ選手も引退した
「私よりも長い選手生活、素晴らしい成績でたくさんの人を魅了してきたと思います。本当にお疲れさまでした」
--いつも前を向く姿が印象的だった。信念はあるか
「小さい頃から変わらないんですけど、目標を持ってやってきました。目標を達成する強い気持ちを持ってやってきました」
--これからやりたいことはあるか
「1月、2月、3月と時間があったので、旅行に行ったり、おいしい物を食べたりできました」
《質問する記者一人ひとりの目を見て、自分の言葉で答える浅田。思わず考え込む姿や、首をかしげて言葉を探すしぐさにもフラッシュがたかれ、会場にはシャッター音が響いた》
--好敵手、韓国のキム・ヨナへの思いは
「15、16歳くらいから、一緒に試合に出てきました。お互いに良い刺激をもらいながら、スケート界を盛り上げられたのではないかと思っています」
--昨年12月の全日本選手権はどんな気持ちで臨み、試合後は何を感じた
「試合に向かう気持ちは変わりません。常に『ノーミス、完璧な演技、自身を持って滑る』と考えています。演技を終えて完璧ではなかったし、現役生活で最高の演技ではなかったので悔しい気持ちもありました。得点と順位が出たとき、『もういいのかもしれない』と思いました」
--『もういいのかもしれない』とは
「12歳から全日本に出場していますが、一番残念な結果に終わってしまいました。結果も(引退の)決断に至る大きな出来事でした」
--過去に戻れるとしたらいつに戻って、どんな言葉をかけたい
「うーん。26年間ですもんね。難しい。本当に戻ることはないと思うので、答えはパッとは出てこないですね」
--平昌五輪について思うことは
「あと1年で平昌五輪。選手は、それぞれ色々な思いで日々、生活をしていると思います。エールを送りたいです」
--五輪の舞台はどんな場所だった
「4年に1度。選手である以上は(五輪を)目指してやってきたので、メダルが取れたのは良かったです。五輪は素晴らしい舞台だと思います」
--生まれ変われたら、またフィギュアをやるか
「今、やり切って何も悔いはない。もう一度、人生があるならフィギュアの道は行かないと思います」
--では、何をやりたい
「食べることが大好きなので、ケーキ屋さんやカフェやレストランをやっていたのかなと思っていたりもします」
--必ずやり遂げるというポリシーはだれの影響か
「やはり母から。こういう性格なので、普段はそんなことはないですが、自分が決めたことに関しては頑固なつもりです」
--ポリシーを貫いた最初の体験は
「覚えているのは、小さいころの長野の野辺山合宿。トリプルアクセルを飛ぶと決めて、初めて下りたのが記憶にあります」
--それが原点か
「『目標を達成するとこんなにうれしいんだな。また頑張りたい』と思えたときでした」
《司会者からは『最後に(浅田を)送り出せる質問を』とリクエストが飛び、なぜか結婚の話題に》
--結婚の予定は
「ないです。お相手がいれば、その方と一緒に(会見場から)帰れたんですけどね」
《台湾の記者がさらに質問を重ねると、浅田は笑顔で答えた》
--(卓球の福原)愛ちゃんみたいに台湾人と結婚することは可能か。台湾でのんびりしたいか
「愛ちゃんとお友達なので、良い方がいれば紹介してもらいたいと思います。台湾に行ってみたいので、愛ちゃんに案内してもらいたいと思います」
《司会者は『もう一問いきます。質問に自信のある方」とリクエストが飛んだ》
--プロスケーターとしての今後の予定は
「一番近くにあるのは(7月の)アイスショーなので、エキシビションナンバーで、スケート人生すべてを注ぎ込めるプログラムを作っていきたい」
《質問終了後、浅田は壇上で改めて引退の言葉を述べた》
「今日は本当にありがとうございました。発表してから2日間、温かい言葉をいただいて、晴れやかな気持ちで引退を迎えることができました」
《そう話すと、声を詰まらせ、後ろを向き、涙をぬぐった》
「スケート人生で経験したことを忘れずに新たな目標を見つけて笑顔で前に進んでいきたいと思っています。皆さん応援ありがとうございました」
《会場からは拍手が起こる。最後は、一礼して会場を後にした》
真央ちゃんの口から語られるお気持ちも心に響きますが、目で見る、真央ちゃんの決意も、やはり、真央ちゃんにも限界はあったのだと。
しかし、もう、先を見据えているのだとも思います。
フィギュアスケートに恩返しをしたいと言う思いも、私たち真央ちゃんファンにとってはこの上ない希望の灯りとなりましたし、やはり、形は分かりませんが、プロに転向しつつ指導もして行く事でしょう。
少なくても真央さんが選んだ方の振り付けは、真央さんのお気持ち次第だと思います。
お金じゃない、真央ちゃんが見抜いた選手と2人3脚をする日もそう遠くはない気がします。
宇野昌磨選手に真央ちゃんの振り付け第一作をして欲しいなぁ~などと妄想にも花が咲く、希望のひと時になりそうな予感です。
もちろん、一番近くで真央ちゃんを見れるのは、ザ・アイス2017ですね。
お出掛けになる皆さんのラッキーな事。(微笑)
今年のザ・アイスは今まで見た事の無い真央ちゃんが見れるそうです。
4月17日の予約販売に間に合う気遣いも嬉しいと思います。
◆浅田真央さん、ほかの皆さんの動画のご紹介です。お付き合いください。
動画主の皆さま、ありがとうございます。ご紹介させて頂きます。(微笑)
★Mao Asada Junior World Championships Exhibition/ Gala
★Mao Asada 2005 Trophée Eric Bompard LP (english comment)
◆シロ豚も真央さんの傍に居た事が有ったんですね。知りませんでした。
やはり、シロ豚は1枚絡んでいますね。(恨)
★Mao Asada Cup of China FS
★Mao Asada - Fly To Your Heart
★2009 132 CoR EX Mao ASADA cup of Russia gala exibition
いつもご覧頂きまして感謝申し上げます。
真央ちゃんとともに!(微笑)
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真央ちゃん劇場、第2章の始まりです。
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