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Channel: サイコロの一点物日記、真央さんと共に!
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■真央さんクイズ?!過去にもご紹介させて頂いておりますが“真央ちゃんチェッカー”お試しください!

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すっかり最近の東北と言えば暗い事ばかりでしたが・・・
真央さんが2回目の岩手公演を終えた所でチーム真央の皆さんのブログやインスタグラムを拝見させて頂いて気付きましたが、岩手と言えば“わんこそば”でしたね~
皆さんが略、同じ画像を公開している事で明るくなれた気がします。
同じ東北でも人災の放射能漏れがない地域の皆さんは、出来る限りへ正常な生活に戻る事が可能です。
となれば、明るい出来事程、どれだけ地元の皆さんを盛り上げられるかと考えれば、大いにチーム真央のみなさんだけでも明るい情報、ありがたいですね。
◆林渚さんのツイートより①~④最終回の4本の動画をお楽しみください。
https://twitter.com/honoskate2525/status/1124343064254767104

◆川原星くんのインスタグラムより


◆まらるさんのツイートより


◆まらるさんのツイートより

14杯?少な過ぎ!でも体形コントロールが必要な方ですからね。
真央さんは?どうも今井さんと同じくらいで10杯?
無良さんの前におかれたお椀が普通ですからね。(笑)

◆今井遥さんのツイートより

真ん中の方は?
なるほど、橋本さんが111杯なんですね。
凄い!
私も遥昔、2度ほど盛岡でご馳走になっておりますが友人におつまみを先に食べられてしまって箸休めが無い状態で、そばだけを食べると言う事は、かなりきついですからね。20杯以上は食べたと言う記憶があります。(微笑)



久しぶりに“真央チェッカー”は如何ですか?
過去に2度ほど扱わせて頂きましたが、是非とも真央さんクイズを実施して頂ければ幸いです。
浅田真央「真央ちゃん」チェッカー
何点だったでしょうか?(微笑)
まったく無関係な問題もありますからね70点以上であれば問題ないと思います。(微笑)



真央さんとは違った形での悔しい思いをされたんですね。
田舎者だと虐められると言う、非常に理不尽な思いをされたカナダのオズモンド選手。
頑張って、いじめに屈する事無くやり切っての引退の様です。
見事に田舎者を払拭される活躍、お疲れさまでした。
◆AFPニュースより
フィギュア元世界女王のオズモンド、現役引退を表明



【5月3日 AFP】フィギュアスケート女子のケイトリン・オズモンド(Kaetlyn Osmond、カナダ)が2日、現役引退を表明した。数々のけがや国際試合の厳しさを乗り越えたオズモンドは、2018年には世界フィギュアスケート選手権(ISU World Figure Skating Championships 2018)の女王にまで上り詰めた。

 23歳で競技生活を終えることになったオズモンドは、2018年3月にイタリア・ミラノ(Milan)で開催された世界フィギュアでタイトルを獲得したほか、平昌冬季五輪の女子シングル銅メダルと団体戦金メダルを含めて五輪で計3個のメダルを手にした。

 カナダ選手権(Canadian Figure Skating Championships)でも通算3度の優勝を誇るオズモンドは、自身のツイッター(Twitter)アカウントに、「正式に皆さんに発表されたことと思います」とすると、「私はもう競技には出ません。個人的にはずっと前から分かっていたことですが、こうして発表されても現実とは思えません」と投稿した。

「自分の今後の計画にわくわくしています。皆さんと一緒に分かち合うことが待ちきれません!」とつづったオズモンドは、女子のカナダ勢としては1947年と48年のバーバラ・アン・スコット(Barbara Ann Scott)氏、1965年のペトラ・ブルカ(Petra Burka)氏、そして1973年のカレン・マグヌセン(Karen Magnuson)氏に次いで史上4人目の世界女王となった。

 オズモンドは以前、伏兵とのレッテルを貼られたことと闘いながらトップにまで上り詰めた原動力となったのは、自分がカナダ最東部ニューファンドランド(Newfoundland)島という小さなコミュニティー出身であることだと話しており、カナダ放送協会(CBC)に対して、「子供の頃は注目されていませんでした」「その理由の一つは、私がニューファンドランド島出身だったからでしょう」と語った。

「いつも新参者とか伏兵として見られていました。世界選手権で優勝したときでさえ、そうなると予想していたと話す人はほとんどいませんでした。大抵の人は私のことを予想外の世界王者と話していました」「それを意識したことはありませんが、事あるごとに自分で折り合いをつける要素になっていました」

 初出場を果たした2013年の世界選手権で8位に入ったオズモンドは、腓骨(ひこつ)骨折で2度の手術を受けるなど数年にわたりけがと闘った後、フィンランド・ヘルシンキで開催された2017年大会で銀メダルに輝いた。

「皆さんが私が成し遂げてきたことに注目し、これまでのキャリアが決して容易ではなかったと理解してくれることを願っています」「当たり前のことは何もありませんでした。演技をすることが大好きでしたが、それ以上にスケーターとして成長していくための戦いを望んでいました。それは、ただ勝つことではありません。より強く、より成長していくことが重要でした。一つ一つを勝ち得るために闘いました」 (c)AFP

真央さんとも戦った経験を持つ方ですからね。労って当然だと思います。
また、お名前を目にする事をお待ちしております。(微笑)



浅田真央さんと伊藤みどりさんの対談記事が掲載されましたので転載させて頂きます。
初めて見る編集の方のお名前なので問題があるかも?
読んで噛みしめる前にご案内となりますのでよろしくお願い致します。
◆NUMBER PLAYBACK 石井宏美:著より
浅田真央&伊藤みどり、特別対談。
トリプルアクセルへの思いとバトン。

1992年アルベールビル五輪の銀メダリストと、
スポーツの枠を超え、愛された国民的ヒロイン。
類稀な才能に磨きをかけ、代名詞トリプルアクセルで
時代をリードしたフィギュア界の伝説の2人が、
お互いの歩みを語り合い、新世代へエールを送った。
Number968・969号(2018年12月20日発売)の特集を全文掲載します!
 日本女子フィギュアスケート界を牽引してきた伊藤みどりと浅田真央。女子で史上初となるトリプルアクセルを成功させた伊藤は、1992年アルベールビル五輪でフィギュアスケートでは日本人選手として初の銀メダルを獲得。

 そのバトンを受け継いだ浅田は、シニア初年度のGPファイナルに15歳で優勝し鮮烈なデビューを飾った。さらに2010年のバンクーバー五輪ではショートプログラム、フリー合わせて3度のトリプルアクセルを成功させ、銀メダルに輝いた。

 ともに名古屋出身で、山田満知子コーチに指導を仰いだ伊藤と浅田。トリプルアクセルを武器に、世界に挑み続けた二人の対談が、雑誌では初めて実現した。
(続きはリンク先で)
・小5の時、飛行機の座席の隣が……。
・練習の3分の2はコンパルソリー。
・真央ちゃんも昌磨もみんな真面目。
・真似できないトリプルアクセル。
・アルベールビルでの演技に感動。
・印象に残っているソチのフリー。
・紀平選手にも継承されている。
・自分自身と葛藤する中で。
・純粋にスケートを楽しんでいます。




◆浅田真央さんの動画のご紹介です。
動画主の皆さま、いつもありがとうございます。ご紹介させて頂きます。(微笑)

★浅田真央 「ヴァイオリンと管弦楽の為のファンタジー」 Mao Asada
https://www.youtube.com/watch?v=ezV6zfgsAIA

★幻想即興曲(Mao Asada)
https://www.youtube.com/watch?v=suFhULJdXPs

★Mao ASADA 2012 Grand prix Final ~Medal ceremony~
https://www.youtube.com/watch?v=r7qstmcnt6c&list=PLB1tigFQGee2jSk8GwjnUtnyFc-bcQ_B7&index=2&t=0s

★浅田真央  エキシビション バイオグラフィー 2005-2006
https://www.youtube.com/watch?v=1QvL4TBVyPk



いつも訪問頂きまして有難うございます。(微笑)
もうひとつの私のサイト、画像だけのご案内です。
真央弥勒菩薩様

部門は、フィギュアスケートです。(笑)
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私が撮影した草花や風景を稀に更新しています。宜しければ訪問をお願い致しますね。(微笑)

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